Story思いと生い立ち

point
01

プロフィール

山縣(やまがた)つゆ美

出身地
静岡市清水区生まれ 入江町育ち

学生時代
バレエ・書道・水泳に打ち込む
三人兄弟の長女

好きなスポーツ
ダンス

趣味
写経・読書・無農薬野菜を求めて朝霧までドライブ

好きな言葉
ありのまま・平常心

point
02

幼少期

暖かい春は藤の花、雨の降る6月には紫陽花、夏の暑い日は無花果(イチジク)がなり、寒い冬には山茶花、椿が小さな庭に咲く。
父は剣道に打ち込み、母は書道の先生という厳格な両親の長女として産まれます。
愛情一杯に育てられた私は少しポッチャリな女の子、肥満を心配した母のすすめで3歳から12歳までクラッシックバレエを習う活発な女の子でした。
今の私の一番の根っこの部分はここから始まっていきます。
そして妹、弟の面倒をよく見る長女としてしっかり者のお姉ちゃんを演じていきます。
兄弟喧嘩や、おやつの数が3で割れないとき トイレの入る順番など「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と両親の言葉を魂に埋め込まれて成長していく幼少期になります。

point
03

思春期

中学から母方の叔父のすすめもあり兄弟で水泳を習い始めます。
夏は清水で唯一10メートルの高飛び込み台のある草薙総合運動場プールに電車に乗って通い真っ黒に日焼けする水泳少女でした。
飛び込み台に立つときの、一瞬の緊張感や静寂、飛び降りるときに感じる心の爽快感、水の中に入った時の安心感が大好きで飛び込みに魅了されていきます。
3メートル、5メートル、7メートル、10メートル最初は飛び降りる練習をしました。
ところが7メートルの飛び込み台まではみんなの先頭となり元気に飛び降りる事が出来た私でしたが、10メートルの高さになった時、今までの景色とは全く違う別世界の高いという恐怖が押し寄せてきて台に立つことが出来なくなります。
飛び込むはずのプールは携帯電話程の小さな四角に見えたからです。
出来ないと思うと飛び降りる事が出来ないのです。その心の葛藤と妹、弟が難なく飛び降りていく姿に“お姉ちゃん”のプライドが崩れていく繊細な思春期を経験します。
「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」は母からでた愛情一杯の言葉をもらいます。
年齢が上がっていくほど妹、弟の出来る事が多くなり、私のできない事が増えていくようで自信が持てなくなりました。
「あなたは3人の中で一番努力していて頑張っている、やればできる子」は妹、弟がいないときに母がくれた魔法の言葉です。
この言葉から少しずつ自信を取り戻し人と比べてできない事を数えるのではなく、自分の好きなことを探すようになって行きました。

point
04

スポーツクラブに入社

身体を動かす事が大好きがお仕事に繋がっていく毎日やりがいを感じ充実した毎日が始まります。
スイミングのインストラクターでマタニティーの方から生後6か月の赤ちゃん、子供達、成人女性、シニアのクラスを担当させて頂き幅広い年代の方達とのコミュニケーションを学びました。
幼少期にインプットされたキーワード「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」「やればできる子」は仕事の中で役に立つ言葉となりました。
スイミングのインストラクター、ジム内を案内してマシーンの使い方をするスポーツトレーナー、アクアビクスのインストラクター、マタニティービクス、キッズエアロ、キッズダンスインストラクター、健康体操の指導士資格、健康運動実践指導者など自分がなりたいとイメージしたことにチャレンジ。
“なりたかった”自分は“なれる”自分に変換イメージしたことが現実に。
そして成功していくことを繰り返し経験していくことでどんどん自分が好きになりました。

point
05

結婚、出産、子育て

「我慢する」「しっかりする」「やればできる」は子育ての忙しい毎日の中で自分に問いかける言葉となりとても頑張ってしまう時期になります。
この時に感じていた感覚は新幹線に乗ってるように速くて、私は何に急いでいるんだろうと漠然としたモノに囚われるようになり、この不安を解消するにヨガ教室に通い始めるのです。
娘が小学校に通い始めると、身体がだるい、重い、微熱がある、リンパ腺が腫れてくる、出血が止まらない、体重が減少してくるなどの体調不良になります。
いくつもの病院で検査して頂き慢性的な血液の癌と分かります。
小さな子供達を残して手術や長い期間の抗がん剤治療を考えると不安で一杯になります。
毎晩泣いていました。言葉には出しませんでしたが、“私 死んでしまうのかな…”と未来には私がいないという設定で物事を考えるようになってしまいます。
子供達は幼かった事もあり、私の深刻さをよそに満面の笑みでお見舞いに来てくれます。
地下にあるお蕎麦屋さんで食事をして帰る事が日課となり、その時だけは前向きな気持ちになれたのでした。
県立総合病院に抗がん剤治療、放射線治療の為、半年間の入院、経過観察の為の2年間通院となります。
治療は心にも身体にも厳しいことをお医者様から告げられます。セカンドオピニオンがあり治療の選択が自分で設定できます。
1. 抗がん剤なしの放射線のみの治療、1ヶ月の短期間 (再発の可能性極めて高い)
2. 抗がん剤治療2ヶ月 放射線治療1ヶ月(再発の可能性高い)
3. とことん治療する抗がん剤治療4ヶ月 放射線治療1ヶ月(再発の可能性極めて低い)
「我慢する」「しっかりする」「やればできる」は治療の時、最大限に役に立った言葉、私は迷うことなく3番を選択しました。
テレビのドラマで見たようなことが自分に起きてきます。
治療による吐き気、高熱、髪がバッサリ抜け落ちる、無菌室、隣のベットで仲良くなったお友達の死。
人生こんなに苦しい事があるんだと思う体験をします。
心も身体も生きていく事に追いつけないどうしようもできない31歳はねずみ色の絵の具で塗られたような世界でした。
そんな時 相田みつおさんの“道”という詩を目にします。

母がベットにそっと置いて行ってくれた1枚の詩の書いてあるポストカード。
私も辛かったのですが、今思うと両親はもっと辛かったんだと思います。
後から聞いた話では 父はお酒を飲む量が増えた事、一時帰宅の時私の寝ている枕元で坊主頭を見て声を押し殺して泣いていたと聞きました。
両親、子供達の支えもあり、私は少しずつ回復していきます。
2年通院した後は1年おきの経過観察です。
5年目を迎え県立総合病院から卒業です。
健康になりたいとの思いでヨガ再開です。

point
06

離婚

ヨガを始めてから、本当の自分を静かに見つめなおす機会が訪れます。
それは私の心に触れる言葉を発信してくれる先生(インストラクター)に出会ったからです。
自分の内側の声に耳を傾けているのか
本当の自分、自分らしく生きているのか
ありのままの自分を受け入れ 自分を好きかどうか
今の自分を愛することができているのか
自分を愛することで 自分を好きになり 他人に優しく出来るようになる
私は深く自分を見つめ対話することが増えていき、自分の生き方を模索するようになります。
そしてヨガを通して皆さんに寄り添っていきたい。
私をありのままの自分に気づかせてくれた先生のように「我慢する」「しっかりする」「やればできる」
インプットされた言葉を自分の内側から削除したのです。
離婚は自分がだした答え、決断となります。
ありのまま、頑張らない自分に変化した後パズルのピースが集まるように私の必要とするものが集まり始めます。
占星術を学び、レイキヒーリングの伝授、シータヒーリングの学び、タイ古式マッサージ要請コース、気功の先生との出会い、自分の学びたいことが次々に表れます。

point
07

1番目から5番目の孫ちゃんの誕生

お孫ちゃんの誕生は人生で最大のプレゼントを神様から頂きます。
娘、お嫁ちゃんの子育てに悩みながら母親として成長していく姿を見れることは本当の幸せです。
今までの経験からつくられた私がいます。
今の私だから伝えられることもあります。
不安に思うことはゆっくり聞きます
どんな辛いことがあっても大丈夫
自分らしくゆっくり前に進みましょう
時には立ち止まってね
プライベートヨガサロンがスタートしていきます